ニコニコ動画?クラブ? (^-^)/


ニコニコ動画とクラブ(音楽を大音量でかつリアルタイムで聴く空間)はそもそも動画と音楽、バーチャルとリアルという根本の部分が全く違うし、その他にも、互いに違う点も多い。だが、この二つの場を比較する事によってよりお互いの根本が分かってくるかもしれない。
ニコニコ動画は勿論、映像中心のコンテンツ消費の場であり、その付属品として音楽がある。クラブは音楽を中心にしたコンテンツ消費の場でありその周辺にVJによる映像のコンテンツがある。
ここまで違う対象を比較するのも無理な話かもしれないが、決定的に似ている点は消費される場がほぼ限られていて、その場に向けて、その場を意識して、またその場での評価を気にして、コンテンツ製作者はコンテンツを作るという事である。
二つの場のコンテンツの内容はそれを取り巻く評価のシステムで大きく異なってくると考える。クラブでの評価というのは主にDJが「使える」か「使えないか」それを聞いた人が「踊れるか」「踊れないか」ということであり、確実に体で感じる事(音の波を振動で感じて、全身で気持ちいいという事、汗を書く事)によって裏付けられている。また、それを取り巻く雑誌等の媒体でもDJのプレイリストや「石野卓球プレイ!!!」等の煽り文句でレコードからも分かる。クラブでの身体的評価を読み取って、DJやアーティストは次に作るコンテンツの内容を決定する。
しかし、ニコニコ動画の評価のシステムは主に面白いと思った動画をマイリスト登録する事による集計と動画に対するコメント。コメントはクラブと同じような一見リアルタイムでの評価に見えるてくる。そして音楽の意味が曖昧になってくる。
ニコニコで流行った音楽といえば僕が思い浮かぶのが「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」であるが、これは果たして音楽なのだろうか、むしろ映像ではないのか。「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」元々は東方シリーズの2次創作映像。改変に改変を重ねられMADとして音楽や映像の様々な亜流が作られた。それはクラブで行われるような身体的な感覚に元づいた改変ではなく、よりネタ性を帯びて「面白い」方向へと向かっていった。元の構造からずれて、あるネタの声が繰り返すという不可思議な音楽になり、それが評価された。ネタというのを説明するのは難しいが、具体的に人気になった動画は「遊戯王」「フタエノキワミ、アッー! 」「ばあちゃん」「外山恒一」等である。つまり身体的な物からかけ離れている要素、リズムや拍子等、音楽の基本的要因からかけ離れている要素、元々音楽ではない映像、言葉から引き出される単純な思い入れ。しかし、この言葉や思い入れも含めて、今では音楽と呼ばれているのだが。この部分は音楽とは何かという問題に関わってくるので難しい。
また、ニコニコ組曲は様々な楽曲の思い入れの核となるメロディーを取り出して、DJMIX的な手法を使う事により楽曲を繋げ、1つの動画にまとめる事によって人気を得た。これは、映像では中々出来ない事で、あるテンポ、一定のリズムの元規制された音楽でしかできない興味深いコンテンツだと思う。
ここで脱線してポップミュージック(日本で売れている音楽、オリコン上位)について考えてみると、むしろポップミュージックはニコニコ動画的なのではないかと思ってしまう。歌そしてテレビでのアーティストのトークやヴィジュアル重視、タイアップ、取り巻く文字情報で一つの音に様々な要素を与える。いやむしろ、それが元々音楽と呼ばれてるモノなんじゃないか。
ポップミュージックは、ほとんどが地に足の着いたリアルなアーティストが中心だが(当たり前!)ニコニコ動画の音楽はある意味それすらを超ている。つまり非人間への萌えオタク的思い入れ。例えば、ニコニコ動画で流行ったヴォーカロイドの初音ミク。あれは身体的な音楽的評価が凄いのでなく、やはり初音ミクというキャラクターに対しての思い入れ、もしくは思い入れが生み出した想像力だろう。もし身体的評価が高いのならば、その評価を軸にしているクラブミュージックでも使われるはずだ。
だが、使われていないし、クラブではなくニコニコ動画から広まった。しかし、完全に初音ミクはそれ単体では身体的評価はないが、初音ミクによって生み出された楽曲はその評価がある事は否定できないし、評価しなけれならない。またこの話は今、同人音楽業界で流行っている東方シリーズなども同じ事が言えると思う。オタクと萌えの話はニコニコ動画においては重要な事だと思うがこれを絡ませると複雑な事になるのでまた別の機会に(たぶん複雑なので無理・・・)。
場の物理的性質もコンテンツに何らかの影響を与えている。クラブの場合は大きいスピーカーから、日常で聞くよりも大きな音がレコードやCD等から出される。これが身体的な評価を生み出す要因の1つである。ニコニコ動画の場合は常にPCの目の前で見るものであるし、スピーカーの大きさも勿論限られるだろうから音の力は弱く、その代りに映像の力が凄まじい。だからこそ音楽は映像の補助的な要素になる。そして、リアルでなくネット上の評価だけでコンテンツが作られていくため、変化のスピードが凄まじく速い。クラブならばDJがプレイする、アナログやCDにして流通させる事で評価が得られる分けだが(今はその空間もネットに移ってきてるがそれが身体的評価を伴っているかわからないので、やはり現場での評価のが重要)それは身体性を伴う着実な評価であるが、しかしネットでの評価よりもスピードは遅くなってしまう。
ニコニコ動画とクラブ、2つの事を比較していて思うのが、当たり前といえば当たり前かもしれないが、これほど場の質によって音楽の評価が変わるという事が面白い。別にニコニコ動画での音楽とクラブでの音楽どちらが優れているという事はない。ニコニコ動画ではニコ二コの性質に合った音楽が評価されるし、クラブではクラブの性質にあった音楽が評価される。どちらが普遍的に優れているという事はない、それぞれにはそれぞれの良さがあるし、決め付ける事もできない。
ニコニコ動画で流行った音楽をクラブに向けにする為にはキックを入れる展開を工夫すると言った、有る程度のクラブへの変換作業をしなければならない。だが、クラブでのコンテンツをニコニコに変換する事は難しいかもしれない。お互いの評価を刺激する要素があるならば別だが、ミニマルテクノ等のクラブの身体的空間に特化しすぎた物がニコニコ動画をで評価を得る事はやはり難しいだろう。
これだけ場によってコンテンツの性質が変わるとなると、インターネット上で新しい場を作り出していく行為の重要性は可能性を秘めているが、ココまで人数を集めた場を作るのは、インフラの面でもプログラムの面でものそれは並大抵の事ではないだろと思うし、やはりニコニコ動画は凄い。
 
と、まー戯言を書きなぐりましたが、あくまでこれは今の僕の考えの1部であって本当かどうかは分かりません。ただニコニコもクラブも好きなモノとしてこういう視点の見方もありなんじゃないかと思っただけです(^-^)/