クラブミュージックですが何か!

ハウスとテクノをここ最近ちゃんと聞き始めてよりいっそうクラブミュージックの泥沼に本格的に嵌まってきた。だからまたクラブミュージックについて書く。だいたいクラブミュージックと人文科学しかよう知らんしね。またかよ!またですが何か!さてさてクラブミュージックまさしく麻薬なのである。地層のようにクラブミュージックが折り重なったiTunesを飛び飛びに聞いてみても何処かで聞いたことのあるビートばかり!!!何だこれは!!!あるボイスSEはHOUSEからJUNGLEへと飛散する。あるシンセフレーズはGABBAからTechnoへ流れ落ちる。あるビートパターンは2STEPからHIPHOPへ。(ちなみにHIPHOPはクラブミュージックかと言えばそうなのだが、そうじゃないと言えばそうじゃないややこしい)加えてテクノロジーの線が貫く。ハードならばTB-303からTR-606ハイアット、TR-909スネア、エフェクター・・・。ソフトウェアならばそれらを模造したサンプリングCDデータベースやCubase、MOD、ACID、Reaktor、Logic、SONAR、それぞれのDAWの世界観をあえて隠さずに表層へ押し上げる。世界観をつくるというよりは創らされている。ある曲へのオマージュとして、パロディーとして、リミックスとして、サンプリングとして、アンサーソングとして。Underground Resistanceはテクノの将来?はと言う問いに対して宇宙へ向かっていくだろうと答えた。Underground Resistanceの意図は違うだろうが、もうクラブミュージックにおいて関連性の小宇宙は既に開かれている。クラブミュージックは常に音響の関連性によるものなのだ!と主張したいのだが、それは嘘だ。しかしながら、音響の関連性に重きを置くものであるという主張ぐらいは言わせて欲しい。互いに意識していない70年代の音と00年代の音が繋がる。それは何故か?それはつまりクラブミュージックがダンスフロアの為に歌われたものであるからだ。30年もの間そこでの風景は変わらなかっただろうというノスタルジー。新たなクラブミュージックは常に他のダンスフロアの為に歌われたものの上に積み重ねられる地層である。傲慢だが言わせて欲しい。ダンスフロアの為に歌われたもの以外をクラブミュージックと呼ぶなと。何のための「クラブ」ミュージックなのか。理不尽じゃないか、おい!!!じゃあ、ダンスフロアの為に歌われたものという定義をするのは誰だ?それはお前だ。ガチガチの技術論とか歴史はもう要らないんだ。ありきたりの論理が音楽を潰してきた。安心が欲しいだけの論理だ。自分の思念と聴く音楽が合致することで安心するような屑共が音楽の歴史とやらを語るつまらなさはもう腐るほど見てきているだろ?そんなもんは不細工な女のアナルにでも突っ込め。お前が感じた凄まじい情念、それだ、それだよ。*1 情念にまくしたてられて明らかにマチガイな音楽が量産される。明らかに西洋音楽史の歴史から逸脱している、子供がピアノをでたらめに弾くように上下に繰り返すだけのシンセフレーズ、むしろ映画のクライマックスの緊張したシーンに主人公が「FUCK!!!」と言うような間で繰り出されるヴォイスサンプル、古代のシャーマン達が儀式のトランス状態に自分を持ち上げるとき太鼓や岩を叩いたようなデタラメなドラムパターン。それを作り出したのはお前か、テクノロジーか果て無き闘争の記録がレコードに、CDに、MP3に刻まれる。その記録を使って再びダンスフロアに対峙する。その循環運動の中でスパイラルに歴史は刻まれる。常に限界を目指せ!!!それを目指す限りクラブミュージックは死なない!!!

*1:http://d.hatena.ne.jp/cinematic/20081120/p1 より一部サンプリング