マルチネ的ってなんだろう。

数日前、大学に行く途中にふと、そういえば、マルチネレコーズのリリースってもう43も出してるんだよな、50番になったらコンピレーションやろうかなと考えていた。いままでレーベルコンピレーション的なのモノは6番の No shit No life しかなかった。それから数えるとかなりの月日が経った。一つ一つのリリースは僕がその都度、おもしろいと思う判断を下しているだけだ。なにかしらの曲やアーティストを観察して、僕はそれをマルチネ的であると判断してコンタクトをとると言う事を積み重ねてきた。では、冷静に振り返ってみてネットレーベルについて考えたことはあっても、マルチネ的とはなんだろうという事を考えたことは今までそんなになかった。丁度いい機会なので考えてみる。
まずマルチネレコーズはネットレーベルという形式をとっている。これはほとんどナチュラルにというか、はじめたのは高校生の時で金もなかったし、なんのコネクションもなかったのでとりあえず一番身近なネットにあげてみた。マクルーハンの「メディアはメッセージである」という話を持ち出すまでもなく、ネットいう場所の地の利を生かして動いていくのが一番だと思った。
ネットの特性はテレビやラジオのメディアと同じように情報をマスに向けても発信できるが、別にそうじゃなくてコアに向けて情報を発信することもできる。すなわち、どちら側にも行ける可能性はあるし、その中間に留まる事もできる。こんな事をはじめから思っていたわけではないが、徐々にマルチネはその中間に漂うようになってきたのではないか。実際にそれを目指してきた方向性もある。はじめは誰だってコアだ。誰にも知られていない。が、そんな地点にいた時もポップ、つまりは、マスを何処か目指していたような気がする。が、完全なポップではない。
「ポップとクラブの間を駆け巡りながらも、インターネットからでしか生み出す事の出来ない音楽を配信していきます。」「ポップ&ハードネットレーベル」といった言葉を初期の段階からトップページに書き連ねていたことは確かだ。
クラブミュージックというのは、僕は古い考えかもしれないが、根本的にコアなものだと考えている。イメージとしては、ホワイトレーベルの型番だけ乱雑に書かれた、展開が3つぐらいしかないが、強烈に脳を揺さぶるループ音が刻まれている300枚限定のレコード。ただクラブミュージックの戦略に素直にのれるほど、のめりこんではいなかったし、コアな部分も好きだがそれに参入しようとは思わなかった。
これとは反対のポップミュージックの戦略にも憧れていた。が、ポップミュージックはJ-POPという言葉がJ-WAVEというラジオ局から生まれ事からもわかるように根本的にマスメディアを必要とする。だが今までは個人がマスメディアを持てるはずもなく、ただ憧れとしてのポップがあるだけだった。レコード会社にデモを送ってデビューするぐらいしか、マスになれる方法はなかっただろう。かといってそれをしたところで個人のやりたい事はできないだろう。
そこで、インターネットだ。今のところインターネットだけが、自然にその中間をめざす事ができる。マスかコアか、ポップかクラブか、本名か匿名か、どちらにもとれない曖昧な存在になる事をインターネットは許してくれる。そこに僕は憧れた。
マスだとか、コアだとかは僕の中の概念であって、それが他人に共有されてるかは僕はわからない。そこを疑っていてもなにもはじまらないので、とりあえずは僕の中のその概念を信じる事にして、その振幅の動きを楽しみたかった。時々マスで、時々コアな、2つの概念が移り変わりながら循環する場所に身を晒したい。そういう事をおもしろい思うのかもしれない。1つの事を目指すのは嫌いだ。
マルチネと分野は違うが似たような動きだと、僕が勝手に思っている事例はいくつかある。例えば絵というか視覚的な部分だと「ポストポッパーズ」だとか、イベントだと「DENPA!!」とか。インターネットをベースにして、似たような概念を揺れ動いている、非人格的な固有名が出てくる事にひかれたし、それらが緩やかに繋がっていくのが、僕はおもしろいと思っている。
これらはどれもが僕を中心にした見方なので、別の人から見ればまた違った動きが見えるだろうし、それを僕が知ることもできない。それに、その時代ごとにマスやコアといった概念自体の力関係も揺れ動くだろうし、最終的には、その都度やりたいように選択していくしかないのかもね……。