ユリイカの連載「大きな物語から神話システムへ/福嶋亮大」がおもしろい

tomad2008-10-19

暇つぶしに大学でユリイカをパラパラめくっていたら、唐突にニコニコ動画がどうたらこうたらとかスジコがどうたらこうたらとか出てきたなんだこれはと思うと福嶋亮大さんが8月号から始めていた「大きな物語から神話システムへ」という連載だった。前にもちらっと見たのだがその時はいまさら神話かよ!と思って読み飛ばしていたが、改めてバックナンバーを読んでみると身近でかなり刺激的な内容だった。
詳しく連載中なので本編を読んで頂きたいのだが、内容に少し触れない事にはそのおもしろさを説明できないので少しつまみ食いをしてみます。
主題は「神話」という視点を通して、現代における新しい物の見方を考えるというもの。複雑な現代社会の中で人々がどのように理解可能なものに合理的に作り変えているか(それが神話と呼ばれる)の立ち位置を探る。こういった大衆的な神話の起源をホメロスギリシャ神話まで遡ってそれがプラトンから続く西洋の哲学の流れとの敵対している事、そしてそのような神話的な視点がある種の限界点を迎えた20世紀に再び復活していく(構造主義)などの説明も加えられる。ぐだぐだ言ってますが、まーデカイ夢語ってないで、明日のどのように暇つぶし(コミュニケーション)をするか、そしてその暇つぶしの中身を考えてみようってこと?
「神話」を作り出す為にはその最小の要素として「神話素」があって、これを上手く集めると無数の神話が作り出せるらしい。これは東浩紀のデータベース論理で言うなら萌え要素みたいなものを一般化したやつで、文章には音楽の平均律の例えも出てくる。最近話題になってる、JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていたのコード進行とかもその上手く出来た例の1つかもしれない。で、その「神話素」にはそれぞれ耐久率と強弱があって、それを考えると上のJPOPのは耐久率が高くて、強い。
「神話素」の強さを調整する仕組みに「演算子」というのがあって、これは神話と現実世界の間に位置するインターフェースでこれが上手く機能していればどんなものでも「神話素」になることは可能らしい。例として文章では「ゲーム」における「チート」をあげていて、「チート」は「ゲーム」という物語の「神話素」を強化する「演算子」の仕組みを持っている。まあ、1回やって飽きたゲームでもチートでいじりまくればゲームを変えなくても楽しめるじゃんとかそんな感じ。
「神話」というのは「神話素」がどれぐらいあるか、「神話素」がどれぐらいの変形能力を持つか、「演算子」がどれぐらいの「神話素」をどういう周期で呼び込んでくるかによって変わり、絶えずサイクルの速い消費が繰り返されるという。確かにこれはわかる話で、後から話も出てくるんだけどニコニコ動画とかまさにこんなんだよね。ミクが流行ったかと思うと、ガチムチ、東方、東方を手書きで書いてミクとガチムチに歌わせて見ましたとか。もはや全体が把握できない。
連載が進むと初音ミクにおけるキャラクターと音楽の二重の「神話素」の重ねがけとか(この前、読む音楽に書いたナードコア話とかにも繋がる)、ニコニコ動画の一見するとどうでもいい動画【魚卵】みなぎるすじこを例にとって神話について解説したりしていく。
これを読んで少しでも興味が沸いたら詳しい内容についてはユリイカを買うか、図書館で読みましょう。今後、単行本とかにまとめて出されるのかな、出るといいんだけども。東浩紀のデータベース論以降、個別の作品ではなく全体を語る方法ってのがほぼ出てこなかった、もしくは僕の観測範囲に入らなかった、と思うのでこういった見方が示されたことは読んでいても興味が尽きないしおもしろい。